保内町の紹介(史跡など)

 三島神社

 三島神社は、1,200年あまり前に創建された歴史ある神社でございます。氏子さんからは「おみしまさま」と呼ばれ、大切にされてきました。

 春・夏・秋のまつりには、境内に出店が立並び賑わいます。

 特に秋まつりには、町内各地区から、四ツ太鼓、お車、牛鬼、お船、唐獅子、五ツ鹿などが出て神社で奉納します。氏子達に守り継承されてきたおねりや踊りは、まさに歴史絵巻そのものであります。ぜひお越しください。
 秋まつりは10月第4土曜日です。

三島神社 宮司 一宮 康人

三島神社
三島神社
秋祭りの様子
秋祭りの様子

 旧川之石浦庄屋 二宮住宅石塀

 旧川之石庄屋跡の土蔵の南側にある石塀。防火壁と言われている。

 幅約1m、全長30m。

 落とし築(おとしづき)…大小さまざまな青石を鋭角に巧みに組み合わせる技法。

 国の登録有形文化財。

旧川之石浦庄屋 二宮住宅石塀
旧川之石浦庄屋 二宮住宅石塀

 東洋紡績遺物 国旗掲揚台「勤労報國」

 あれは、商工会が一番忙しい確定申告作業も佳境に入った、2006年3月2日正午頃、岡崎直司さんより連絡が入った。
「旧東洋紡績工場跡地の煉瓦塀が壊されとるらしい、至急現地の確認を。」
 旧東洋紡績川之石工場跡地を八水蒲鉾株式会社が購入、本社社屋と工場の新築移転工事が始まったのは承知していたが、壁がどうなるか気にもとめていなかった。駆けつけたところ、なるほど壁の一部はすでに瓦礫と化している。早速岡崎さんにご報告。
「一安心したが、敷地奥にある戦前に建てられた国旗掲揚台はどうなっとるか?それも大変な気がかり。」
と、岡崎さん。
 八水蒲鉾株式会社の鈴木社長は個人的に知らない方でもないので、思い切って電話をした。ご無沙汰の失礼を謝しつつ本題を切り出したところ、
「土地の購入をした際、先の所有者から、ココは川之石にとって大切な場所やから大切にしてくれとくれぐれも言われた。どうしても一部壊さなくてはイカン部分はあるが、それ以外の煉瓦塀は壊さず残す。」
とのご返事。加えて、
「奥の国旗掲揚台は貴重なモノじゃないんか?壊す予定やが、いるんやったらあげるケンとりに来なさい。」
取りに来いといわれても…、とにかく段取りをつける旨お伝えし電話を切った。
 さて、どうしたモノか思案を巡らし、とにかく専門家に相談するに如くは無し。元青年部長の(株)伊藤組伊藤社長に電話したが今日は忙しい様子。と、そこに突然鈴木社長が商工会にいらっしゃった。
「現場責任者には話をしといたからすぐに行って掲揚台を持ち帰る段取りをしなさい。早うせんと壊してしまうらしいぞ。」
後で気づいたが、今日中には解体予定であったのを鈴木社長が現場に急行し、指示をしてくださったらしい。

とにかく、掲揚台の簡単なサイズを測り記録をとる。伊藤社長のご好意で、重機、運搬トラック、仮保管場所を手配してもらい、翌日移動させる段取りがついた。
 ちなみにこの国旗掲揚台、「勤労報國」と刻印があるので戦前のものらしい。一時は東洋一の規模をほこったらしい東洋紡績川之石工場の姿を今に伝える数少ない遺物の一つ。

 さて、伊藤組の敷地に仮保管した国旗掲揚台。
 “ゆかり”の場所で保存するのが良いと、八幡浜市文化振興課宇都宮さん、当時の文化振興課長、保内中学校校長の皆さんが協議されて即断即決。
 現在、保内中学校正門横の敷地内に移設されて現在に至っている。

国旗掲揚台 解体移設工事の様子
国旗掲揚台 解体移設工事の様子
現在、八幡浜市立保内中学校内に移設設置されている国旗掲揚台
現在、八幡浜市立保内中学校内に移設設置されている国旗掲揚台

 東洋紡績遺物 旧東洋紡績 社宅屋根飾り

 旧白石和太郎洋館前駐車場に、案内地図看板がある。その足下になにやら不思議なオブジェがあることに気をとめる人は少ないと思う。
 先の国旗掲揚台の顛末に記したように、旧東洋紡績川之石工場跡地の一部に蒲鉾メーカーの本社社屋と工場が建設された。第2期工事として、残っていた旧東洋紡績社宅が壊された際、少しでも名残を残そうと、岡崎さんの発案で宇都宮さん、安藤さんのか弱き女性二人がかり出され屋根の部材を一部持ち帰った。持ち帰ったのは良いとして、こいつの保管場所は?モルタル製のコレは結構重量もあり、そうあちこち移動もできない、取り敢えずと言うことで現在地に設置したのがそのまま現在に至っている。

 何気なく置いてあるのも良いようにも思えるが、その由来などを皆に知らせるも工夫が必要かなとも考える。
 なお、八西建築士会有志のご協力で、社宅の実測図も記録された。

旧白石和太郎邸 駐車場にある旧東洋紡績社宅の屋根飾り
旧白石和太郎邸 駐車場にある旧東洋紡績社宅の屋根飾り

 稲見米穀店 旧亀井喜平太邸

 明治2(1869)年に上棟された建物。亀をあしらった持ち送り(庇(ひさし)や出格子窓を支える部分)、千本格子戸が特徴的です。
(保内町ふるさと写真集より)
 歴史的建物の保存再生にいち早く取り組んだ事例です。

稲見米穀店(旧亀井喜平太邸) 外観
稲見米穀店(旧亀井喜平太邸) 外観
稲見米穀店(旧亀井喜平太邸) 亀をあしらった持ち送り(庇(ひさし)
稲見米穀店(旧亀井喜平太邸) 亀をあしらった持ち送り(庇(ひさし)

 鎌田家

 日本建築の代表的な形式として格子窓がありますが、この家は虫籠窓(むしこまど)と呼ばれる格子窓が特徴的です。
(保内町ふるさと写真集より)
 明治33(1900)年に上棟された建物。

鎌田家 外観
鎌田家 外観