● 保内町まちなみマップ
①八幡浜みなっと
道の駅・みなとオアシス「八幡浜みなっと」は、地域の素材を活かした産直・物販・飲食施設「アゴラマルシェ」、八幡浜漁港に水揚げされた新鮮な魚を直売する「どーや市場」、「みなと交流館」などで構成されており、観光客だけでなく地元の人にも愛されるスポットです。
②フェリー乗り場(八幡浜港)
八幡浜港は四国の玄関口として、別府市と臼杵市を1日20往復し、年間約70万人が利用しています。
令和4年4月1日より出島に移転したフェリーターミナルは、段々畑をイメージした外観が特徴的で、展望デッキからは四国八十八景に選定された「向灘の段々畑」やフェリーを間近に見ることができます。
八幡浜市の新たな観光スポットとして注目の施設です。
③平家谷公園
渓流と原生林の美しさを持つ平家谷は、春には、桜やツツジ、アジサイの花が咲き、初夏には萌黄色の新緑が目にまぶしく、秋には紅葉が美しく映え、冬には水仙と梅の花が咲きそろいます。約2kmにも及ぶ閑静で神秘的な遊歩道では森林浴を楽しむことが出来ます。
家族連れでも楽しめる公園内には、100mのローラー滑り台も設置されています。
冷たい水の流に清められた名物の平家谷そうめん流しは、古い歴史と文化の香りをきっと味わっていただけることと思います。そうめん流しの他にもマス釣りやマスの塩焼きもいただけます。
「平家谷そうめん流し」
お問い合わせ/平家谷そうめん流し売店 (電話/0894-36-2414)
開催期間/4月29日~8月31日 (営業時間/9:30~16:30)
※5・6月は、祝祭日・土曜・日曜のみの営業となります。7・8月は毎日営業しています。
④旧宇都宮壯十郎邸
丸みを帯びた「むくり屋根」が、外観に重厚な印象を与えています。白漆喰造りの一見和風の外観ですが、小屋組にはトラス構造を採用、屋内には暖炉もある和洋折衷の建物です。
⑤旧白石和太郎邸
嘉永7(1854)年棟上げの玄関は式台を備えた武家様式です。
紡績、鉱山経営などで財を成した白石和太郎の所有時代に、贅を尽くした座敷、洋館などを増築、かつての富裕を偲ばせます。
明治時代に建てられた洋館は、左右対称の擬洋風建築です。内部に入ると、玄関の天井飾りには世界地図、2階の天井飾りには果物カゴの形が施されています。ガラスは建築当時のもので、よくみると歪みがわかります。緑色の塗りも当時のままで、ペチカや柱頭飾りなど、建物全体に見事な左官・大工技術をみることができます。
⑥琴平赤レンガ小路
西洋文化の象徴赤レンガは明治・大正時代に全国的に取り入れられました。この一帯の塀のつくりはイギリス積みといいます。そぞろ歩けば明治の香りがすることでしょう。
⑦金刀比羅神社
天文年間(1532~54年)に、金兵衛という人物が讃州金刀比羅宮から御分霊を大樹のもとに勧請し、のちに小社を建てたのが始まりと伝えられています。拝殿には市指定文化財の天井画があります。
春は桜、秋は紅葉の名所として知られ、春になると参道沿いに桜のトンネルができます。
公園内には、戦没兵士の霊を祀る忠霊塔、俳人赤澤赤黄男の句碑が建立されています。
⑧青石の岸と雁木
伊予の青石と呼ばれる緑色片岩は家の基礎や段々畑の石垣・河川の岸などに用いられました。この宮内川は運河にも利用されたため、青石の岸に舟つなぎと階段状の雁木が設けられています。
2016年には、「宮内川青石護岸」が土木遺産として土木学会から選奨されました。
⑨カワイシ醤油
大正8年設立。むくり屋根に、漆喰装飾が施された持ち送りを備えた重厚な建物。安全性を考慮し、長さを短くした赤レンガ煙突には「カワイシ醤油」の文字の名残が見て取れます。
⑩富澤赤黄男(1902~1962)
明治35年(1902)7月14日、川之石村(八幡浜市保内町川之石)生まれ。宇和島中学から、早稲田大学に進み、昭和5年、28才の時に郷里川之石に帰り、第二十九銀行に勤めました。そのかたわら郷里の俳句同好会「美名瀬吟社」で俳句を始めます。同10年創刊の俳誌「旗艦」に無季俳句への進展と建設を目指して新鮮な作品を発表し、「太陽系」、「詩歌殿」により、ひたむきに俳句の純粋孤独を追求し、新興俳句運動の第一人者になりました。
〈困憊の日輪をころがしてゐる傾斜〉
⑪矢羽根積みの護岸
青石(緑色片岩)は一方向にはがれる様に割れる特性があり、矢羽根積みはその特性を生かした石の積み方です。特にここの護岸は連続した矢羽根模様が水面に美しく映えます。
⑫旧東洋紡績荷揚げ・荷降し場
宮内川の満潮時を利用して、川之石港に停留している「機帆船」から「ダンベ船」に原綿・石炭などを積み替えて沖仲仕により「荷揚げ・荷降し」をしていた場所です。
⑬佐島レンガ(カラミレンガ)
川之石沖合いの佐島にはかつて銅の精錬所がありました。
銅鉱石を製錬し銅を取り出したカス(鉱滓)を鍰といい、これをブロック状に固めてレンガにして使われていました。当地域では、佐島レンガと呼ばれます。
⑭もっきんろーど
「もっきんろーど」は、保内町本町地区と琴平地区を結ぶ河川沿いの延長350mの木製遊歩道です。ロケーションの良さから映画の撮影にも用いられ、赤レンガ倉庫から川沿いに続く「もっきんろーど」は、お散歩コースにも最適です。
⑮和田橋モニュメント
1999年(平成11年)の台風で倒壊した旧和田橋。第二次世界大戦前後の一時期、鉄筋の代用として造られた竹筋コンクリート製。竹筋部は失われましたが、再生した花崗岩の部材がその歴史を伝えています。
⑯旧東洋紡績赤レンガ倉庫
宇和紡績(のちの東洋紡績)は、明治20(1887)年に愛媛県で最初に設立された紡績会社で、四国ではじめて電灯が灯ったことでも知られています。
昭和3年頃が川之石工場の最盛期で、当時川之石町民3人のうち1人は同工場の関係者でしたが、昭和35年閉鎖し、現在は赤レンガだけが残り、川之石地区の黄金時代を象徴する貴重な産業遺産になっています。
東洋紡績の広大な敷地跡は現在、保内中学校、八興産業などになっています。
⑰美名瀬橋
江戸時代から現在まで5回架けられています。現在の橋は、昭和8年(1933年4月9日)架橋の五代目。昭和8年竣工当時の親柱は灯籠の役目を果たしました。
平成10年原形をいかして改修、保存。現在に至っています。
⑱川之石地区地域交流施設みなせ
川之石のシンボル「美名瀬橋」が由来の交流拠点施設です。
大型スクリーンが配備された多目的ホールや、陶芸や工作なども可能な創作室など利用者同士が交流できる場所です。
地元の皆さんはもちろんのこと、いろんな場所から集まったいろんな人と 交流できる場所になってほしいと願いを込めました。
「誰かに会えるかも。笑えるかも。」そんなふうに胸をワクワクさせながら覗いてみてください。 きっと何かがあなたを待っていますよ。
住所/八幡浜市保内町川之石3番耕地11番1
電話・FAX/0894-36-2837
開館時間/施設:毎日9:00〜21:00
事務所:平日8:30〜17:15
※施設予約がある際は、17:15以降も対応します。
開館日/毎日(年末年始12/29〜1/3は除く)
⑲愛媛蚕種(旧日進館)
愛媛蚕種は、明治17年より蚕種製造会社として創業。木造3階建ての威風堂々とした佇まいです。
現在では西日本で唯一の蚕種製造会社です。
貴重な産業遺産として、1999年に玄関・事務所棟、第一・第二蚕室が国登録有形文化財になっています。
⑳旧伊予銀行川之石支店(石碑)
1878(明治11) 年に第二十九國立銀行設立 (1月設立、3/15開業)しました。愛媛県では初、四国では 2 番目の國立銀行の設立となります。
1934(昭和9) 年に第二十九銀行、八幡浜商業銀行、大洲銀行が合併し、豫州銀行が設立しました。
1941(昭和16) 年には、豫州銀行、松山五十二銀行、今治商業銀行が合併し、伊予合同銀行が設立され、後の伊予銀行となります。2028年には創立150周年を迎えます。
㉑内之浦公会堂
昭和12(1937)年地元出身の実業家那須金市氏の寄付(土地および建築費5,000円)により建てられた擬洋風建築の公共施設。
外観は洗い出し技法が用いられた、西洋建築を意識した造りになっています。
国の登録有形文化財(平成13年5月1日告示)
㉒東江山 龍潭寺
八幡浜大法寺開山の徹傳玄與隠居寺として開山1662(寛文2)年開基。臨済宗妙心寺派。正面の扁額は山岡鉄舟筆。
”水かけ石”伝説の”石”が境内に残っています。
㉓大峰鉱山 (富士シリシア化学(株) 愛媛工場)
1890(明治23)年8月発見。
1891(明治24)年3月28日より、初代白石和太郎が採掘権を得、操業開始。 最盛期の1907(明治40)年頃には別子銅山に次ぐ四国第二の出荷量がありました。
〒796-0201
愛媛県八幡浜市保内町川之石3-11-1
川之石地区交流拠点施設「みなせ」内
TEL: 090-7629-9932 (浜田)▶
FAX: 0894-36-2837
E-mail: honaimachinami@gmail.com▶