明治36年西宇和郡實業名望家取組表

当時の西宇和郡内の實業名望家の番付です。

宇都宮壯十郎や、白石和太郎は番付外、明徳三福人として中央に記載されています。

 

明治中頃まで番付最高位は大関。

本来横綱は番付外の名誉称号で、大関の中で技量抜群の者に、横綱の称号が与えられ、その証として横綱を締めることが許されていました。
その名残として、大関には降格ルールがありますが、横綱には降格ルールはなく、自らの判断で進退を決めることが求められます。